嵐を「人間を構成する部分」に例えたら(自己解釈)

智は精神、感情。
一番四人に対しての影響力のある部分。そして他者からはもちろん、メンバーにとっても中々な「不可侵領域」。多分本人は認めないけど。理論すっとばして全ての根幹。嵐さんの「概念的」な急所。二宮さんと似ているようで全く違う。嵐という枠組みが消えたとき、一緒になって綺麗に消えてしまいそう。存在が掴めない。
繊細なのに豪胆。相反するように見えて成り立つ両端。

 

翔ちゃんは心臓。
常に動いて、わかりやすい「生命」の活動をしてくれる。目に見えて大切な部分だと自他ともに認められている感。嵐さんの「物理的」な急所。
メンバー四人との距離感が固定されてる印象。すっごくしぶとい(いい意味で)。

相葉さんは身体。
五人で嵐、を一番一人で体現するイメージ。一人でいても常に四人を感じてる、感じさせてくれる。外気に触れている唯一の部分。相葉さんの中には四人がいて、四人はずっと相葉さんと共にある。四人が傷ついた時に一緒に傷ついてしまうからこそ、四人を守るために自分が傷ついても構わないと思っている感じ。

二宮さんは脳。
ハイ、趣味です。()潤ちゃんがいないと動けなくて、翔ちゃんより先に停止する前提で、相葉さんに言うこと聞かせようだなんて思ってなくて(身体が勝手に動いちゃったって言いそう)、智がいないと動く意味も意義もない。四人に対する「依存」「執着」が強い。
メンバー四人がそれぞれ、その役割、その人として必要としている。同じ役割をしてくれる別人はいらない。

潤ちゃんは血液。
四人のために動き回る印象。翔ちゃんと違うのは、翔ちゃんは「自らのためにも、自他のため動く」であり潤ちゃんはほぼ100パーセント「他のため」。これは他のためが楽しいんじゃないかなっていう解釈。
様々な、必要な情報(例えるなら酸素や栄養分)を内包し、どんな形もとれる柔軟性をもつ。メンバーとの距離感が一定でない。状況と場合によって最適な状態を作り上げる。個人的見解。

 

 

 

自分はこう思うよ!っていうのがあれば遠慮なく投げてください。めちゃくちゃ聞きたい。


のちのち加筆修正するかも。しないかも。