五つ葉

ずっと。

嵐は5人、それぞれが「嵐というグループの欠片」を5分の1ずつ持ちよって、そしてパズルのピースみたいにあるべき場所に収まって、それで初めて「嵐」が出来上がるのだと思っていた。

けど違った。

今回のVS嵐、リモート嵐ー1グランプリを見て。

翔ちゃんのいない嵐を見てとても寂しかったし、いて欲しかった気持ちがあまりにも大きかったのだけど。一晩明けて(この途中までは先週の金曜日に書いていた)、思い返してみると、四人は努めていつも通りでいてくれたなと気づく。

「いつも自分がしていること」の、それよりもほんの少し頑張って25パーセント増しで嵐を構成するわけじゃなく。

あくまで、いつも自分がしていることをいつも通りしていた(ように自分には見えた)。

それはちょっぴり悲しくて、でも本当に素敵だと思えた。

 

敵チームに嵐メンバーが入った際、残された四人は敵チームの嵐メンバーの話をしてくれることが多かった。「スカスカな感じする」「いつもは松潤の役割」というような。だけど翔ちゃんとの通話を切ったあと、「翔ちゃんがいないから〜」って話は一切出なかった。

私は、そういう話をするのが愛だと思っていた、けど。

そうじゃない愛もあるのだ、と思い知った。

 

誰も翔ちゃんの代わりはできない。だから、翔ちゃんの代わりはしない。翔ちゃんの代わりを嵐の誰かがすることを、翔ちゃんが求めない限り。それは本当に怖いくらいの信頼と愛で。

 

四人でいながら、「欠けてる」「足りない」を思わせる一番の原因はきっと、四人がそう思うこと。だとしたら、四人は翔ちゃんがいない状況でも「欠けてる」「足りない」とは極力思わないでいた(少なくとも、そう振舞っていた)。

四人は、翔ちゃんと共にいたのだ、と思う。少なくとも、四人は常に翔ちゃんを「ここ」に感じていたんじゃないかなあ…。それはここのところリモート収録(SNSの動画など)が多かったことも大きいのかもしれないけど、「離れていても繋がっている」を体現していた。

 

何にしろ。

リモート嵐ー1グランプリ最高〜!!!!!って話でした(雑なまとめ)